top of page

コミュニティって何者?



コミュニティー【community】






実生活にもインターネット上の集団社会でも使われるコミュニティ。

たぶん、すでに恐ろしいくらい多岐にわたるコミュニティの形が存在しているのだと思います。


今、社会が変わろうとしおり数年前から耳にする『多様性』

もうすでに当たり前は当たり前ではなくなり始めているし、


『個』の時代が到来しようとしています。


そして、集団での結束や力が必要だった世の中が大きく変わり始めているのを薄々感じている人も多いはずです。



わたしは『個』の時代がきても

コミュニティーはあり続けると思っています。


ただ、

注意しなくてはならないのがカタチや定義が変わると思っています。



当たり前だった家族のカタチ、

学校のあり方、

仕事のあり方、

お店やお金のあり方、

……


たぶん、たくさんのものが変わり始めていると思います。


だからといって、

『個』と『個』のつながりは消えないと思います。


選択の自由が生まれ、

新たなコミュニティーが細分化されて、

それぞれが尊重できるような調和の世界に向かっているような気がしています。



『個』を尊重できない人(今までの社会の在り方を引きずっている人)は、

どんどんスピードを失い、

少し生きずらい世の中になるのかもしれません。


わたしは勝手に書いているだけで、預言者ではないし、

ひとつも言葉が降りてくるタイプではありません(笑)



ただ、冷静にそう思います。




たとえば、


旧型なコミュニティ代表を血縁の家族とします。


・子育て

・介護

・伝統の継承

・看取り、供養


今まで、当たり前に家族がしてきたことは違うカタチのコミュニティが担っていくようになると思っています。

たぶん上記のカタチも変わるけど。


違うカタチってのが、旧型に対して新型、つまりこれからのカタチかなと思っています。




皆で育てて

皆で看取る

そして、そのコミュニティを選べる時代がきている。


たぶん、昔の『村文化』は選択の自由はなかったけど、こうゆう感じだったんじゃないかな~って思っています。



これは、とっても極端です。

前もって言っておくと、わたしは血縁の家族も大切だし大好きです。



社会が進もうとしている方向へ、

わたしなりに進んでいきたいと思っています。





手の届く人とその隣の人が幸せであることを願って。





nayuta

わーちゃん

ベトナム山岳民族の子供たち、

日本のサクラを教えてあげたとき。

閲覧数:53回0件のコメント

最新記事

すべて表示
bottom of page